千束稲荷神社のご紹介
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御祭神
倉稲魂命

五穀豊穣をつかさどる神様で、お稲荷さんと呼ばれて親しまれています。
もともと「稲荷」とは「稲が成る」つまり稲の生育を意味します。
古くから家内安全・商売繁盛の神様として信仰されています。

素盞嗚尊

八岐の大蛇退治でも有名な神様です。
様々な災厄や病気を退ける神様として信仰されています。

由緒

 当社の創建は不詳ですが、おそらく寛文年間(1661~72)と推測されます。かつては浅草寺境内の上千束稲荷(西宮稲荷)と、当社の前身である下千束稲荷の二社に分かれており、下千束稲荷は北千束郷の氏神としてお祀りされていました。この「千束」という地名は大変古い地名で、その範囲も浅草天王町あたりから千住の橋際にまで及ぶ広大なものでした。(なお上千束稲荷は現存していません)
 その後龍泉寺村(現在の台東区竜泉周辺)が起立して以来、龍泉寺村の氏神様として崇敬され、今日に至っています。また樋口一葉の名作『たけくらべ』は当神社の祭礼が舞台の一つになっており、『たけくらべ』ゆかりの神社として境内には樋口一葉の文学碑も建立されています。

『江戸名所図会』(天保7年・1836刊)
「千束郷 竜泉寺町の辺(中略)この堺に叢祠あり千束稲荷と称す。或人云う往古は上下とわかれて、浅草天王町の辺より千住の橋際迄をすべて千束郷といひけると云ふ、よって按ずるに浅草寺至徳四年の鐘の銘に武州豊島郡千束の郷金龍山浅草寺とあり。また境内に西宮稲荷と称するあり。里老伝えて是を上千束稲荷と号くるといふ」
『新撰東京名所図会』(明治31年刊)
「往時は千束郷の鎮守にして上下二社あり、本社は下千束稲荷にして、今浅草伝法院の左にあるを上千束稲荷とすといふ、明治五年村社に列す、祭日八月二十一日なり、氏子竜泉寺町一箇町」
『今戸箕輪浅草絵図』
 『今戸箕輪浅草絵図』(嘉永六年)では「チツカイナリ」と記されています。(地図左上) またこの古地図では「新吉原」や浅草寺境内の「西宮夷寿神(上千束稲荷)」(地図右下)も確認できます。
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